― 闘うことも、穏やかに生きることも ―
多様化する選択肢
医療の発達は目まぐるしく超高齢化社会となった今日では、生命維持装置に接続することで命をつなぐことができる。
人工呼吸器に接続されると外せない
これは、あらゆる年齢層の人々が耳にしたことがあるであろうフレーズ。そして人工呼吸器に対するイメージです。
実際の医療現場では、蘇生や重症疾患の末期状態の人に対し、気管挿管と人工呼吸器を接続することで、治療を行うことを意味しています。
この治療継続の判断が難しく、救急場面では苦慮しています。
判断に迷う場面を一つ提示します。
心情を慎ましやかに、記述するため心理的に負担が大きい可能性がありますので、読み飛ばしていただいても結構です。
迫られる選択
事案発生:2026年1月1日 10時頃
実家に家族と妹夫婦とともに集まり、息子も含めた7人で新年を過ごしていた。
妹はみおもであり、1か月後には元気な女の子が産まれる予定である。
90歳の父は朝一番に起きて、母とともに息子が楽しみにしいてる餅つきの準備をしている。
9時から7人で餅つきを行い喜ぶ息子の姿を見て、私は笑顔で幸せを感じていた。
10時頃、一同は餅を食べた際に、父が餅をのどに詰まらせてしまった。
私は、慌てて水を飲むように促すが、吐き出してしまう。
背中を必死にたたく、妻は救急車を呼ぶが私の実家の住所が言えず、時間がかかってしまう。
苦しがっていた父の意識が徐々になくなり、妻は必死に状況を司令員に伝える。
司令員からの指示に従い、妻は電話をスピーカーに
胸骨圧迫が必要です。
胸の真ん中に手を当てて…
司令員の指示を無我夢中で、胸を押す。
呆然とする母。
救急隊が到着
しかし、必死に胸骨圧迫をする私に救急隊は
続けてください
私は絶望する。
いつまで続けるんだ
そう思った矢先、最初に来た3人とは別の青い服を着た4人が入ってきた。
かわります
身体の大きな、青い服の青年が私と交代し
呼吸・脈ありません
CPR開始します
救急隊の発言に、心臓が止まっていることを一同が実感する。
そんな家族を横目に、救急隊は心肺蘇生を続ける。
すぐに、口に器具が入れられ、ちれぢれの餅が一個ずつ取り出された。
あれよあれよという間に、ストレッチャーに父は載せられ、救急車に乗せられる。
これから、X病院に搬送します。
どなたが乗りますか??
家族は同様の中、とりあえず私が救急車の助手席に乗り込む。
するとすぐに救急車がサイレンを吹鳴し、道行く車の間を縫うように進む。
赤信号では一時停止をしたうえで、交差点に進入する。
私はもどかしい思いだ。
早く、早く…
しかし、次の信号も赤。
救急車は一時停止し、運転手は声掛けをしながら交差点をゆっくり進む。
救急車の後ろでは、胸骨圧迫を続ける救急隊員たちの絶え間ないやりとりが聞こえる。
病院にたどり着いたときには、15分が経過していた。
病院に着くなりすぐに、私は医師から説明を受けた。
心拍が再開しました。
ただし、うまく呼吸ができておらず人工呼吸器が必要です。
心臓が止まってから時間が経過しているので、意識が戻るかわかりません。
ただ、一度人工呼吸器につなぐと外すことが出来ません。
処置を希望しますか?それとも、ここで家族と最期の時間を過ごしますか。
意識が戻るかわからない。
残酷な説明だった。一人で決められない。
一人で決めるにはあまりにつらい選択であった。
処置をしない。それは父の死を意味しているのだから。
私は、判断を保留にしたい旨を医師に伝えるが、長くは待てないとのこと。
家族に電話で説明するが、家族の動揺は電話口からでも伝わる。
家族の決断は、長男である私に任せると。
私は、たった一人病院で決断を迫られる。
迷っていると、医師から声がかかり父のそばに案内される。
父は意識がなく、看護師により青い器具を顔に当てられ、人工呼吸を受けている。
身体に触れてあげてくださいと言われ、言われたままに手を握る。
その手は温かいが、握り返してはこない。
そんなことは、昨日まで考えられなかった。
昨日は、私の息子と一緒に手をつないで歩いていたのだから。
きっと、人工呼吸器につないでも大丈夫。
父ならば、元気に意識を取り戻してくれる。
そう思う。いや、思うことにした。
先生。
人工呼吸器をお願いします。
もうすぐ生まれる。来月産まれる孫に会わせてください。
私は、医師にはっきりと伝えた。
医師・看護師は、準備が出来ているようで、すぐに処置をしてくれるようだ。
待合室に行くよう促され、父の手を離す。
ピピピピピーーーー!
けたたましい音が鳴り響き、すぐに看護師が胸骨圧迫を始める。
医師は、青い器具を顔に当てたまま、私にそばに来るように言う。
お父さんは、限界のようです。
胸骨圧迫も苦しい処置になります。
ここで見送ってあげませんか。
信じられない。
いま、決断したばかりではないか。
私の決断が遅かったのか…
目の前では、胸を強く押され続ける父の姿。
それだけ強い力を加えられても、父に反応はない。
私が決めるしかない。
わかりました。
私が言うと、看護師は胸骨圧迫をやめ、医師とともに部屋の外にでる。
部屋を出る際に、看護師から
声をかけてあげてください。
耳は最後まで聞こえていますから。
私は、再び手を握り。父への感謝を伝え続ける。
部屋には、父と私の2人。
先ほどまでけたたましい音を鳴らしていたモニターは、時折「ピ」と鳴るだけで、静かになっている。
一方で、画面の上には赤い光がともり続けており、生きていることを感じさせない。
幾分時間がたち、家族が看護師とともに父のもとに。
もうその時には、モニターは音を発しておらず、緑の線は一直線となっている。
それぞれ、身体に触れる。
温かさは感じるが、反応はない。
医師が部屋に入ってくると、最後の確認をしますと。
1/1 11:31 死亡確認とさせていただきます。
宣告された。
医師看護師は、頭を下げている。
視界が滲む。
私の目からはここにきて、涙が流れる。
私の後悔
心情を慎ましやかに記載したため、心理的に重たい内容となっていますが、実際にはこのような心の揺れ動きが実際です。
心情の変化は、決断を伴っており、その決断の数だけ後悔が一つ、また一つと増えていきます。
私の後悔
- 危険なものとして認識しておらず、餅を無警戒に食べさせてしまった
- 胸骨圧迫の訓練を覚えておらず、正しくできたかわからない
- 人工呼吸器の判断を早くすれば助かったかもしれない
- もしもの時のことを話し合っておけばよかった
さまざまなものが列挙できますが、このサイトで取り上げるのは、
父の望みを知らないまま、いくつもの重大な決断を迫られました。
そして、その決断の数だけ後悔が増えていきました。
この点になります。
話し合うことの大切さ
先述した通り医療は高度化しており、この父もすぐに人工呼吸器を接続すれば、命は助かったかもしれません。
しかしそれは、「意識が戻る」ことと”イコール”ではなく、私の経験上はこの父の意識が戻る見込みは、限りなく低いと言わざるを得ません。つまりは、「人工呼吸器に生命活動を依存し、病院からでることはない」ということです。
ただし、意識が戻る可能性は0%ではない。これも事実です。
そこが難しいところであり、医療者に判断ができない根拠になります。
可能性が1%でもあるのならば、家族に判断を仰ぐ必要があるからです。
一方で、家族にとっては可能性は関係ありません。
意識が戻る奇跡の一例であろうと、意識が戻らない大多数例だろうと、そこにいるのは紛れもない唯一無二の父だからです。
私たち医療従事者は、その気持ちも理解したうえで、家族に判断を仰がなければなりません。
それには、後悔を伴います。
誰だって、後悔をしたくはない。
家族の最期を穏やかに迎えたい。
そう思って、日々を過ごしているはずです。
しかし一方でこのような状況が、「朝も夜も春も秋も変わらず」※1に起こっていることも事実です。
どうすることもできないのでしょうか?
そんなことは、ありません。
父のもしもの時の意思が分かっていれば、後悔は少なくなります。
父は、「人工呼吸器に繋がれてまで生きていたくない」
そういう発言をしていたらどうでしょう?
今回のケースで迷いがなくなったかもしれません。
目の前で父が亡くなることはつらいですが、事前にそう聞いていたのであれば、受け止め方が変わります。
話し合うことが、唯一の解決策です。
この話し合うことをACP:アドバンスドケアプランニングと言い、本邦では「人生会議」という名称で普及を試みています。
そしてこれが筆者の研究内容であり、残された家族と本人の良い最期の迎え方を模索しています。
ACP:人生会議とは
ACP:アドバンスドケアプランニングと言いましたが、普及しているとは言い難く、言葉を聞いたことがある人自体が少ないのではないでしょうか。
それよりも、DNR/DNARや終末期医療・緩和といった言葉は聞いたことがあるかもしれません。
どれも最期の迎え方についての概念です。
周辺概念として、EOL・SDM・ADなど様々なものがあります。
一つ一つの概念や説明は、ここに収まりきる量ではないため、各ページに譲ることにします。
それらの概念すべてを包括したものが、ACP:人生会議と定義されています。
ACPについての説明も別ページに譲りますが、特徴としてどの世代の人々にもやってほしい内容という点があります。
まさに、人生会議という名前の通りです。
明日からのACP
平均寿命が延伸し、定年後も20数年暮らしていく必要がある時代です。
まだまだ自分は、考える段階ではないと思ってしまうことも理解できます。
今この文章を読んでいるあなたは、現役世代だからまだ先の話と思っているかもしれません。
しかしこれだけ科学が発達した現代でも、私がいつ命を落とすかは予測が出来ません。
それは、不良の事故死だけでなく、病気による死亡についても予測が出来ません。
今この瞬間に、あなたが倒れ、あならの大切な人が決断に迫られたとしたら、大切な人は後悔なく決断することが出来るでしょうか?
また、あなたの大切な人が倒れ、あなたが決断を迫られた際に、あなたはすぐに判断が出来ますか?
その後悔をなくすために、一歩踏み出してみませんか?
それが、ACPになります。
ただ、自分の価値観を共有してください。
その言葉が、その一つ一つの会話が、もしもの時の大切な判断材料になります。
明るい未来のために、話し合ってください。
あなたが、一歩を踏み出せますように。

引用
※1 「命に嫌われている」作詞作曲:カンザキイオリ 歌詞より一部引用
(私の好きな歌です。救急に身をおいていると、Cメロの歌詞が刺さります。)
